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○御由緒 |
千葉県を千葉氏が支配していた鎌倉時代。千葉胤貞と親子関係にあった日祐上人は、大本山中山法華経寺の第3代貫主となり、千葉氏嫡流の篤い外護を受けて千田荘(現在の多古町)などに多くの日蓮宗の寺院を建て、また他宗より日蓮宗に改宗する活動をしました。日本寺は、千葉胤貞より土地の寄進を受けて日本寺の前身である東福寺を建立します。室町時代に千葉宗家はこの千田荘で親族同士が争い、滅亡します。そして、戦国時代末期、日円上人が飯高壇林、小西壇林とともに日本寺を中村壇林として開壇しました。
壇林とは仏僧の学問所で、どこの壇林を出たかで法縁が決まり、どの寺に配属されるというように、現在にも続く強固な関わりを作ったとされています。日本寺(中村壇林)は、飯高壇林とともに特に徳川家より篤い外護を受けており、水戸黄門(徳川光圀)はこの日本寺より第21世日耀上人を迎えて水戸三味堂壇林を創立しています。また、現在の飯高壇林には僧侶がおりませんが、日本寺には現在も貫主がおりますので、日蓮宗の各宗派より壇参や写経に訪れる僧や門徒があり、信仰の寺として有名です。
境内には、学僧たちが試験合格を祈願した妙見宮、この地域の人々が夫婦円満・縁結び・商売繁盛の御利益があるとして信仰する夫婦稲荷神社があり、現在も学業成就や家内安全を祈願する人が絶えません。また、境内には約6000株のあじさいが植えられており、6月下旬ごろにはあじさい祭りも開催されています。
*花の名所 本山 日本寺のページへ。 |
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宗祖日蓮聖人と中山法華経寺、千葉氏との関係について |
日蓮宗の宗祖である日蓮聖人は千葉県南房総の小湊で生まれ、12歳のときに天台宗(当時)の清澄寺に入り仏道の修行を始めました。16歳のとき、出家して鎌倉や高野山、比叡山へ遊学し、32歳のとき清澄寺で「南無妙法蓮華経」のお題目を唱え、法華宗(日蓮宗)を立教開宗します。日蓮聖人は、幕府の執権北条時頼に「立正安国論」を建白したことや、幕府や他宗の念仏批判をしたことにより、松葉ヶ谷の草庵を焼き討ちされ、千葉氏の支配する八幡荘(現在の千葉県市川市)に逃れます。千葉氏に仕えていた豪族、富木常忍は日蓮聖人を保護し、法華宗に帰依して聖人のための法華堂を建てました。日蓮聖人の入滅後、富木常忍は出家して日常と号し、中山法華経寺を建立し初代の貫主となります。
そして、この地方の支配者である千葉胤貞の猶子(血縁ではない親子関係)日祐上人が第3代貫主になり、室町幕府との関係を強化して中山法華経寺をさらに発展させ、千葉氏の領地の法華宗への改宗を勧めることになります。千田荘(現在の多古町)には多くの日蓮宗の寺がありますが、日蓮聖人と弟子たちと千葉氏との間には深い由縁関係があったことがうかがえ、日本寺や飯高壇林などの壇林が建てられた理由を裏付けられるものです。日本寺に近い多古町内を一望できる高台は、当時、他宗から法華宗(日蓮宗)に改宗した寺が、他宗の経典を埋めたとされる「経塚」とされています。
*千葉氏については、芝山仁王尊のページへ。
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所在地:千葉県香取郡多古町南中1820-1 TEL:0479-76-3745
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◎成田空港からの行き方
路線バスで:成田空港第2ビルより 空港シャトルバス(約30分、300円)→道の駅多古下車。・・・徒歩約15分。
車で:約25分、タクシーで約5,000円。
・東京駅八重洲南口よりJR高速バスで、「道の駅多古」下車(約1.5時間、1830円)→徒歩約15分。 |
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